音楽に生かされ音楽に死す

はい、というわけで前回の文章は最後の文章にならなかったわけですが。

実はね、わたし、あと2週間ほどで30歳になるんです。なんか、よくこんなところまで生きたなあという感じです。30目前にして、わたしは大好きな大切な大事な友人をなくしそうです。なくしものだらけ。生きていたらその分いろんなものやひとをなくします。時には亡くしたりもします。

消える前にひとつだけ。ずっと、この命が続く限り、なくしたくないひとが、家族以外にもちゃんといました。それはもう10年以上前にも遡ります。わたしは椎名林檎さんを世界一敬愛しているのですがその同志たちと出会ったのが、高校2年生の冬でした。同世代の学生たち、成人した大人の方たち。小さな田舎で育っているわたしにとってインターネットとは唯一この窮屈で退屈な田舎から解放してくれる未知であり最高にわくわくする世界でした。年齢も住んでいるところも皆違う、でも画面越しに繋がっている。わたしは彼らとの距離を縮め、時には田舎を飛び出し彼らに会いに行ったりもしました。勿論椎名林檎というわたしたちを繋いでくれた音楽家にも。初めはとある同い年の同志が作成した非公式ファンクラブの掲示板でした。それから数年後、SNSというものがだんだん普及していき、掲示板に書き込む人はいなくなり、皆すっかりSNSの殻に閉じこもることになりましたが、わたしたちの関係は続いていました。終わることはなく、mixi、そしてTwitter。やっている人はfacebook。わたしたちの繋がりは途絶えることはありませんでした。そして気が付けば10年も時がたっていました。大人の方たちとの交流はなくなってしまったものの、同世代の同志とは未だ繋がり続けていて、そしてわたしたちを繋いでくれた椎名林檎さんも活動を続けているおかげで、わたしたちは今も皆同じ空間にいられているのです。

先日まで、椎名林檎さんのツアーが行われていました。勿論行きました。10年以上の付き合いになる同志たちと共に。遠方に住んでいて一時期連絡先もわからなくなっていたひとりの同志ともまた再会を果たすことができました。ずっと変わらず椎名林檎さんが大好きで、わたしたちと再会できたことをとても喜んでくれていました。そして今秋、椎名林檎さんがまたツアーを行います。勿論、また同志たちと行きたいという気持ちはあります。ですが、わたしはいよいよその同志たちをもなくそうとしています。わたしが消えた時、誰がこの文章を見ているかはわかりません。だけど、もし同志の誰かがこれを見ることになったら。

今まで、ありがとう。あなたたちと出会えて本当に良かった。おかげで30目前まで生きてしまいました。わたしの全青春は、あなたたちとの日々にあります。ありがとう。

ELLEGARDENという青春が復活してもわたしの終わった青春は復活しませんでした

どうもどうもどうも。底辺です。

いろいろ思い返しています。これまでのこと。わたしはしあわせでした。しあわせの途中で死んでしまいたかった。でもどうやらわたしのしあわせは終わり、死にたいという気持ちのまま死に損なってる日々が続いています。また楽しいことがあるよだとかこれから新しい人と出会えるよとかさあそういうことじゃないんだよ別に楽しいこともどうでもいいし新しい人もいらないんですよもう終わってんだってば。彼と終わった時点で終わりなんですわ。だからわたしは終わらせたくなかった。わたしを終わらせたくなかったから。だから別れても彼に連絡したり高円寺の彼の家に行ったりした。でも彼に昨日ちゃんと言われました。もうわたしたちは終わったって。そういうこと。終わったんだって。わたしは終わらせたくないっつってんだろって言いました。そうしたらもう終わってるんだってばって言われました。というわけで、終わってるんだってさ。はい、そういうことですね。つまりわたしは終わりということです。もしこれが最期の日記になるんだとしたら彼のせいでわたしがどうにかなったと周りも彼自身も思うでしょう。はい、そうですよ。全部お前のせいにしてやる。大好きな人を悪人にするわたしをどうか許さないでください。わたしの最期の黒い愛を受け取れ。強制的にぶん投げてやるからさ。まさかわたしがここまで人に執着するなんて。人のせいで死んでやるとか思っちゃうなんて。わたしはずっとわたしが嫌いでした。わたしがこうなったのは周りのせいじゃなくてわたし自身に問題があるからだと思っていました。いや、今も思ってるんですけど。だからわたしが死ぬのはわたしのせいだと思っていた。でも今は人のせいにしたい。圧倒的クズに成り下がって死にます。さよなら。ていうかなんだこのクソ文章。頭悪すぎでしょ。

あけた

2018年になりました。生きてます。

前回残したことから進展がありすぎて何から報告すれば良いものか。まずは、失った恋人について。今も彼と一緒に住んでいます、が、それも残り1週間でおしまいです。そう、つまりは、引っ越し先が決まりました。1週間後に、今の家をでていきます。本当はそんな早くに出て行くつもりではなかったのだけど今から探し始めると引っ越しシーズンのピーク超えて部屋がなかったり家賃が高くなったりと面倒くさい時期になるのでまた親の力を借りて部屋を決めました。ちなみに今の部屋は間取りとしては1LDKなのでわたしは主に寝室で過ごして彼はリビングで過ごしています。家庭内別居状態。今は寝室のベッドでこの文章を書いています。このベッドはわたしが彼と住む際に持ってきたものです。彼のベッドではありません。わたしが初めての1人暮らしを始めた時に睡眠は快適にとりたいと思いちょっと奮発した良いベッドです。もう何年も愛用しています。このベッドだけは譲れません。今度の引っ越しの際もこのベッドも一緒にこの家から出て行きます。

何が言いたいかっていうと、今は彼と眠ってはいないということ。およそ1か月半前まですっかり彼とわたしのものになっていたこのベッドは、わたしだけのものに戻りました。

荷造りをしなければなりません。でもまとめるものなんて漫画と本とCDぐらいしかないので余裕ぶっこいてまだ何も手をつけていません。今の街は都心にとても近くて夜も若者たちの騒ぎ声などが聞こえる少々賑やかな街です。古着屋さん多いし良い銭湯もあるしご近所のフォロワーの子もいるし、この街を離れるのは正直寂しい。引っ越し先は、なんとかつて一人暮らしをしていた街です。しかも前の家からとても近いので新しい街に住むという感覚がありません。夜はとても静かで、川が近いです。内見の際にちらりと見つけたのですが、幼稚園がすぐ近くにあったので子供の無邪気な声が時たま聞こえたりするのかなあ、などと思いました。いかなる時もまあなんとかなるだろうというポジティブなのかただの危機感なしなのか、まあ後者なのだろうけれど、そういうところは相変わらずなのでなんとかなれといった感じ。

あと仕事についてですが、無事失いました。そしてこれについてはすんなりと新しい仕事が手に入りました。先日ネカフェで文章を投稿したあと、求人サイトを少し見ていて、それで気になる求人を見つけてそのままネカフェから応募をしました。Webで応募して、履歴書用意して送って、書類選考通って、面接して、先月中に内定までいって。流れがまあ早い早い。今月から早速働いています。前の職場は障害者雇用でしたが現在の仕事は一般就労です。フルタイムです。デスクワークなんですけどずっと座りっぱなしもきついものだなと久々に感じました。背中がばっきばきです。でも好きな分野の仕事をしているので、仕事自体は楽しいです。職場の人たちも見た目だけで個性的と言いたくなるような人ばかり。話す機会があまりないので中身についてはわかりかねるけど。

あと1つ、失ったものが増えました。人です。厳密にいうと、祖母です。今月の中旬に、祖母が息をひきとりました。新しい仕事を始めて4日目で忌引きって。もうてんやわんやです。でもこればかりはしょうがない。いつ何が起きるかわからないことぐらいもう十分わかってるじゃないか。痛感してきたじゃないか。そんなわけで実家に戻ったりしてました。今年1番の雪が降る中、通夜・葬儀も無事終えました。祖母のお顔はお人形みたいで、肌は積りに積もった雪のように冷たかった。

毎年帰省はしていたものの、私は祖母に会いに行っていなかった。最後に会いにいったのはいつだろう、覚えていない。私は、どんどん衰弱してどんどん忘れていく祖母を見るのがつらくてたまらなくて意図的に会いに行かなくなったのだ。でも、もっと会いに行けばよかったなって後悔した。だって生きてるんだもの。わたしのことを忘れていても、祖母が動いてるんだもの。 もう動かない祖母を見て、ごめんねと呟いた。

昔の祖母とのことを思い出しながら、泣いた。泣きながら、火葬場に入る祖母を見送った。

 このこと以外にも細かいことがいろいろとありました。障害者手帳が今月末で切れることに今月気付いて慌てて診断書書いてもらって更新の申請をしに行ったり、引っ越し+今の職場で社保に入ったので区役所へ行って転出と国保の脱退の手続きをしたり、家電を買いに行ったり、友人とVOLAちゃんのライブに行ったり、地元から戻ってきて彼に祖母とのことを話してたらいきなりぎゅうって抱きしめられたり。

祖母の納棺の前に、お清めをしたんです。祖母の雪のように冷たい指をきれいに拭いて、それを同じように彼にしながら話していたら、そのまま手をひっぱって彼の胸にわたしのからだがくっついた。10秒くらい硬直して、いきなりどうしたんですかと言ったらすぐ離されて。彼曰く「(仕事や一人で生活していくことへの)がんばれ」のハグらしいです。それはそれとして、不意打ちハグはずるいです。ずるいですよ。彼からぎゅうってしてくれたのいつぶりだろう。もうそれすら思い出せないぐらいだから、余計ずるいですよ。呪いになる思い出が最後の最後で1つ増えました。

 そんなこんなでわたしは消えることを選ばなかったし結局そういうこと。そうして、きっとこれからも生きてく。絶対なんてものはないから、引っ越して1か月も経たない内に何か起きるかもしれないしね、起きないかもしれないしね。生きるってそういうことでしょ?

自由を手にした僕らはグレー

まず何から説明すれば良いかわからないが現状を簡潔に述べるとまだわたし生きてます。そして今この文章はネットカフェで書いています。

え、家失ったの?ネカフェ難民になったの?うーん、グレーです。とりあえず今こんなところでブログなんかを書いてる理由としてはあと1時間半後に予約が入ってる精神科までの時間つぶしです。家を失ったわけではありません、まだ。これから失う予定です。

つい先日「恋人」という存在を失いました。同棲していたので恋人から同居人に降格です。最近ずっともやもや抱えていたものをやっと放出できてスッキリした気持ちと、やっぱりわたしが不安に思っていたことがそのとおりだったことの悲しみとが入り混じって頭から熱湯出そう。ぴゅー。というわけでちゃんと話し合って別れることになったのですがわたしにすぐ家から出て行く金もなければなんならこれから職も失いに行くつもりなので、優しい優しい元恋人はわたしを追い出さずにいてくれるのです。でもわたしはもうハグをしたいとも思ってくれてない相手と一緒にいるのがつらいです。わたしはとてもハグがしたい。でもできない。これから彼とどう接すれば良いかわからないしなんなら別れ話をしてからはなんかずっと変な空気で息をするのが苦しいですなので昨日も友人の家にお泊りさせてもらってそれで今こうやって時間つぶしをしているわけで。精神科行って退職の話をしに会社に行って普通に家に帰りますよーん。彼は今週出張で昨日から家にいません。なので別に友人の家にお泊りする必要もそんなになかったのですがあの家に一人でいるのがやはりつらい。失恋して寝込んでても、わたしだけのものじゃないものがあちこちに散らばってて、よくドラマとかで部屋のものをわーーーー!!ってぐちゃぐちゃにする人の気持ちがちょっぴりわかりました。「わーーーー!!」の種類違うかもしれんけど。

別れる理由としては気持ちのズレと簡単に言うべきか。まあその「ズレ」が起こったのはわたしに原因があるわけで。あんまり長くぐちゃぐちゃ書けば書くほどただの自虐文章になるだけなのでこの辺で。とにかくある意味今わたしはめちゃくちゃ自由だということ。この状態が危ないとそれはさすがに自分でも自覚はあります。

わたし、昔から本当にとにかく危機感というものを抱かない人間のようで。高校受験もスポーツ推薦で勉強もまったくしなかったし就職だってしなくたってバイトでも正社員以上に稼げたし上京する時もほぼ無一文だったけどなんとかなるでしょって漠然と思ってて結局親に少しお金を出してもらったりして本当になんとかなったしもうほんとにいっそのことこうやってネカフェ難民ぐらいになるぐらい追い込まれないと危機感なんて生まれないのかもしれない。わたしいろんな人に甘えすぎた。まあ主に親と元恋人ですが。

それか危機感とかいういぜんに、もう生きるということへの執着が、完全になくなっているのかもしれないです。とりあえずまた新しい職を探して必死に働いて今の家を一刻も早くでて郊外の川沿いでひっそりと一人暮らしをしたい、というぽやんとしたビジョンは浮かんでいるものの、それを実行できる気がしません。ほんの少しの「消えたい」でそのビジョンが真っ黒になって何も見えなくなります。ってさ、こういう人間だから別れることになるんだよ。ほんと学ばない。どうしたら治るの?どうしたら昔当たり前に働いてたわたしに戻れるの?消えたいとか死にたいとか思いながらもなんとか働けていたわたしはどこへ消えてしまったの?

結局ぐちゃぐちゃと長く書いてしまった。ごめん。

 

死は救済って、大好きだった娘が言ってたなあ。

7月12日のこと

2017年7月12日、Coccoの20周年ライブを見に武道館へ行きました。Coccoのワンマンを見るのはいつぶりだろう、もうだいぶ前のことで、きっと最高のライブになることは間違いないと思うけどわたしがどうにかなりそうなんじゃないかと、そんな不安もあった。Coccoが、今も歌い続けている、それだけでポロッと泣きそうになる。わたしが1番好きなアーティストは椎名林檎だけれども、わたしの中の「歌姫」Cocco以外ありえないのだ。彼女は、歌うために生まれてきた。わたしの中で彼女はそういう存在なのだ。様々な壁にぶち当たってきて、苦悩や挫折を抱えてそれでも生きて、再びステージに立ってくれて、もうそれだけでどれだけのファンが救われているか。その姿に涙しているか。わたしもその内の1人。彼女がステージに立って歌ってそして笑っている、もうそれだけでわたしは嬉しい。生きて、またわたしたちに歌を、笑顔を、届けてくれて本当にありがとう。

MCでCoccoが自分は「みんな」にしかありがとうを言えないのがつらいって言っていた。1対何十万人なんだからしょうがないことなんだけど、Coccoにとってはしょうがないことにしたくないのだ。でもわたしたちがCoccoを想っていて、そしてまたCoccoもわたしたちファンのことを想っていることはみんなわかってるよ。

終盤のMCで「わたしたちはもう大丈夫なところまできたね、」って言っていて、その言葉を聞いた瞬間涙が止まらなくなった。

あっちゃん、違う、わたし、大丈夫じゃない。

大丈夫じゃなかった。最後のMCのあと、ラスト1曲の「もくまおう」。歌い終わってすぐにはけてスタッフに途中抱えられそのままステージをあとにした。ライブが終わっても、わたしの涙は止まらずしばらく立てずにいた。隣の人が心配して声をかけてくれたけど、何も喋れなくて申し訳ないことをした。声かけてくださったのにごめんなさい。だけどわたしは辛くてたまらなかった。Coccoの口から「大丈夫」と出たのはとても嬉しい、笑顔でそう言えるようになったのが、とても嬉しい、と同時に、おいけぼりだという気持ちがわたしの頭の中を支配する。

あの日からもうすぐ2ヵ月経とうとしてるけど、あの日のライブを思い出すたびに泣きそうになる。というか今まさに泣きながらこの文章を書いている。先日一人カラオケに行ってもくまおうを歌った。途中で涙が溢れてきて歌えなくなった。この曲はわたしにとって呪いの曲になってしまったかもしれない。

ライブレポートを書くつもりだったけど全然レポートにもなってないしつくづく文才がない自分に嫌気がさすけど、死ぬ前にこの思いは残したかったのでゆるして。

ライブはもちろん素晴らしいものでした。セットリストも昔の曲から新しい曲まで幅広くやってくれた。序盤はほんとにファンが悲鳴をあげる曲ばっかりでわたしも1曲目のカウントダウンから泣いてたけど。ていうかどんだけ泣いてるのわたしって感じデスネ。

とにかく今わたしが伝えたいことは、今も大丈夫じゃないということ。

たすけて。

こないだ恋人に

誰も信用してないし期待もしてないし人は裏切るって言われた

わたしは悲しかった

変えられなかった わたしが2年一緒にいても

恋人のその思考を変えることはできなかったのかと思うと 悲しくて悲しくてしかたなかった

だけどそもそもわたしがだめだった

わたしは何も与えられていなかった

わたしは足を引っ張ってるだけだった

わたしの勝手なエゴだった

この人をひとりにはしていけないというわたしの勝手なエゴで恋人の2年間を振り回してきた

 

死んでもきっとかなわないし元婚約者に対して尊敬していたと言っていたけどわたしに尊敬できる部分なんてないもんなほんとにごめんねわたしなんか選んでくれて今まで見放さないでくれてありがとう